3月5日礼拝メッセージ

                            

「神につまずかない者の幸い」

聖書箇所「ルカ福音書7章24-30」

  メッセージ要約

 ルカは、洗礼者ヨハネからの質問イエスさまの返事の物語を記します。そこから見えてくることメシアにつまずくか否かは、洗礼者ヨハネにつまずくか否か密接に関係していると述べたかったのです。 「つまづき」の反対は「信じる」 ことです。イエスさまを信じて神の国の住人になることは、 洗礼者ヨハネよりも偉大であると述べながら、その神の国に入る住民の少なさを指摘するのです。

  洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)は、自分の弟子イエスさまのもとに送って、 「来るべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか」と質間させました。そこでイエスさまが答えられた内容が、 「病気や、規定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音が告げ知らされている」とあり、 「私につまずかない人はさいわいである」という言葉で締めくくられています。この締めくくりの言葉は、 「人々からさげすまれた人への福音が語られ、病人が癒され、死者が復活させられる」出来事が起こされているのは人間業ではない。洗礼者ヨハネが考えるメシア以上の者がいることを信じるかどうか問うたのです。

 イエスさまは群衆に向かって、洗礼者ヨハネについて考えさせました。ある人々は洗礼者ヨハネ預言者と考えたー方で、単なる見物感覚でやって来て、彼を認めなかった人もいました。イエスさまは聖書の言葉を用いて、彼はメシアの先駆者・使者であると解き明かしました。出エジプト23章20では、カナンの地に導く先導者が与えられたけれど、結局、多くのイスラエルの民はその先導者に背きました。イエスさまの時代の人々を 「今の時代の人々」と形容して、何の反応も示さないで、洗礼者ヨハネの働きを信じなかったと述べました。私たちキリスト者にとって、イエスさまを信じて神の国の住民になることは、偉大な救いの特権を持っているということです。洗礼者ヨハネのような偉大な預言者であったとしても、私たち神の国の住人と比べれば、小さな者と呼ばれるからです。     

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