メッセージ要約
ルカによる福音書5章は、 「群衆が神の言葉を聞こうとして押し寄せて来た」という書き出しから始まりました。この情景は、多くの人々がイエスさまのロから語られる神の言葉を求めて殺到したことを暗示させます。中には、繰り返しイエスさまの言葉を聞きに来た人もいたことでしょう。
マタイもマルコもイエスさまが4人の漁師を弟子に召した記述を残しでいます。 「私に付いで来なさい。人間をとる漁師にしよう」というイエスさまの言葉を聞いて、4人の漁師は直ちに船を残してイエスさまに付いて行きました。しかしルカの記述では、イエスさまが集まっていた群衆に神の言葉を語るために、シモンの船を陸から少しはなれた場所に漕ぎ出すように頼んだことです。陸にいた人々も、船に乗っていたシモンもイエスさまの教えを耳にしたはずです。
次にイエスさまはシモンに向かって、沖に漕ぎ出して、綱を降ろすように命じられました。シモンが網を降ろしたところ、綱が破れるほどの魚が獲れ、もうーそうの船に助けを求めました。シモンは船が沈む恐怖の体験をしました。ここにルカの語りたい思いが隠されています。 「シモン・ペトロ」 がイエスさまのひざ元にひれ伏したことです。ルカにおいて、「シモン・ペトロ」 という名はここの箇所だけにしか使われていません。ペトロという名が当然と使われていることを考えるならば、ペトロは前に弟子入りしていたと考えるのが普通です。ー度召されたにもかかわらず、漁師という職を廃業していたのではないことが暗示されるのです。他の福音書の記事を読んでみるならば、シモンがイエスさまに呼び出された時、自分の罪深さに向き合う事なしに弟子となったことです。ー度イエスさまに呼び出されて弟子となったものの、古い自分、古い漁師の仕事に戻って、イエスさまへの献身が不十分だったのです。私たちも同じです。イエスさまへの献身は繰り返し求められるのです。しかし、ペトロが大魚を見たように、私たちも悔い改めと再献身によって同じ結果を見ることでしょう。