メッセージ要約
イエスさまが故郷のナザレを訪間して安息日に会堂に入られると、イザヤ書の巻物が手渡されました。そこで、イエスさまは巻物の中のイザヤ61章1, 2節を読み上げて、こう宣言しました。 「この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にしたとき、実現した」。イエスさまが引用したイザヤ書の文には幾つかの変更がありましたが、そこにイエスさまが宣教を始めて伝えたい福音があり、洗礼者ヨハネの福音と根本的に違う点なのです。イザヤ61章1-2節は、捕囚されたイスラエルの民が解放されるという預言の言葉です。2節は「主の恵みの年と、私たちの神の報復の日とを告げ、すべて嘆く人を慰めるために」とありますが、イエスさまの聖書朗読では「神の報復の日」を削りました。
洗礼者ヨハネは旧約最後の預言者として聖書(旧約)の使信・福音をユダヤ人に届ましたが、その福音は、メシアがやって来て悪による圧迫や苦しみの中に置かれた神の民が解放され、神が悪を懲らしめ滅ぼすという内容でした。同時に、メシアを指し示す働きを持ったので、ユダヤ人を苦しめ支配したローマ帝国の圧政を倒して、ユダヤ人の王国の再興に期待をユダヤ人の間に与えました。
「主の霊が私に臨んだ」預言をイエスさまご自分に当てはめて、恵みの福音を届ける活動を開始されたのです。 「恵み」は供え物の受け入れを表す律法用語で、「恵みの時」 は祈りが受け入れられる神の好意の時を意味します。ですから、イエスさまの福音は神の怒りではなく、神が受け入れられる好意の時が現実に実現したと宣言されたのです。しかも、イエスさまは 「視力の回復」という言葉を用いて、失った視力を再び手にする人の喜びを引き合いに出して、現実的に、罪に囚われている人間の解放と回復を述べたのです。主の霊による新しい働きの幕開けは誰にでも用意されています。イエスさまの福音を信じる者にも主の霊が注がれ、聖霊の実(ガラテヤ5章22)と呼ばれる、愛、喜び、平和、 寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制など、肉や情欲によらない人間生活が可能になるのです。