1月8日礼拝メッセージ

                            

「悔い改めから始まる」

聖書箇所「ルカ福音書3章2-10」

  メッセージ要約

 四福音書すべては、バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)の働きが主イエスさまの働きのために道を備えたことと、特に悔い改めへの招きであったことを記します。四福音書すべてがイザヤ40章3節を用いで、洗礼者ヨハネは主の道を備える 「声」とみなしでいます。しかしルカは、イザヤ40章4-5節を加えて 「道筋をまっすぐにする」ための具体的な行動を記してから、 「すべての人々が神の救いを見る」と結論付けていることです。それは、ヨハネが語った「悔い改めにふさわしい実(3章8)」 と表現できます。侮い改めるという人間の内面の変化は、その人に具体的な行動における変化を要求するもので、具体的な行動様式の変更・変化をヨハネは強調しました。

  ルカだけが語っているのは、悔い改めた人々の個人的な質間に対して洗礼者ヨハネが答えていることです。徴税人に対しては規定以上に取り立ててはならないことを、兵士に対しては金をゆすったりしないで自分の給料で満足すること、メシアを熱望していた民衆に対しては、ヨハネは単なる洗礼者であって後から来る者が本当のメシアであることを述べました。ヨハネの答えは、どのような職業にもそれぞれ固有の誘惑があること。その誘惑に抵抗する行動の変化真の侮い改めた者のしるしであると語りました。当時のユダヤ人たちは、神の裁きの時は異邦人だけがきびしい裁きを受けるのであって、ユダヤ人はアブラハムの子孫であるので、神の祝福を与えられているので安全だと考えていました。洗礼者ヨハネはこの安全というユダヤ人の思い込みに切り込みました

 洗礼者ヨハネはさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせたとあります(3章18)。そこにはユダヤ人に対する福音という意味が色濃くあります。彼が伝えた「福意」には、神の裁きは必要不可欠な部分で、最後に悪が決定的に除かれるという告知が究極的に良い知らせとなるのです。ー方救い主イエスさまは、悪への裁きと滅びの向こうに、罪の赦しと復活という命の回復の福音を述べました。

    

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