3月19日礼拝メッセージ

                            

「最後で最後の新しい契約」

聖書箇所「ルカ福音書22章14-20」

  メッセージ要約

 ルカによる福音書22章から、ルカが解き明かそうとするイエスさまの死の意義について考えることにいたしましよう。ルカは、栄光の姿で現れたモーセとエリヤが「イエスエルサレムで遂げようとしておられる最後のこと(ギリシャ語のエクソダス)について話していた」(9章31)と記しました。エクソダスは「出エジプト」を表す言葉です。最後の出エジプトについて話し合っていたことになります。これからエルサレムで起こるイエスさまの十字架の死を予想しながら、その十字架の死最後の出エジプトという性格を持つことを言い表しました。次に、 「過越しの小羊を屠るべき除酵祭(種を入れないパンの祭)の日が来た」(22章7)と言及しました。22章15以下では、 「苦しみを受ける前に、最後の過越しの食事をしたい」旨のイエスさまの言葉を残しました。ルカはこれらの記述によって、シナイ山での契約の血の出来事(出エジプト24章)とイエスさまの十字架の血について関連付けを行いました。 「この杯は、あなた方のために流される、私の血による新しい契約である」(22章20)というイエスさまの言葉は、契約に必要な小羊の血としてイエスさまご自身の血が提供されることによって、最後の契約として、新しい契約がイエスさまによって成立したことを述べました。

 マタイとマルコは、過越しの食事と新しい契約の場である最後の晩餐切り離すことによって、イスカリオテのユダが最後の主の晩餐の席にいないかのように描きますしかしルカは、過越しの食事と主の晩餐を区別はせずに、イスカリオテのユダの姿をその場面に残します。そこには、罪人を赦す主の十字架の血の意義を見出そうとする、異邦人ルカの思いがあるのではないかと思います。ここにルカの福音書の意義があると思います。 「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストは私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。それで、今や、私たちはキリストの血によって義とされたのです」(ローマ5章8-9)という言葉が胸を熱くさせます。     

Copyright © 安城キリスト教会All rights reserved.
Designed by 安城キリスト教会