9月13日礼拝メッセージ

                              

「蜜による、新しいキリスト者の日常生活」

聖書箇所「エフェソ4章17〜26」

  メッセージ要約

 今日のコロナ禍の状況の下で「新しい日常生活」 という言葉が使われています。宅配による買い物、 ドライブスルーによる受け渡し、接触しないで済む支払方法、などなど。コロナ禍での世界では、便利ではあるが、3密と呼ばれる状態を避け、できるだけ人との関わりを絶つことを推奨する日常生活となります。人間関係の疎遠を目指す世界観と言えます。エフェソ4章も新しいキリスト者の生活スタイルを求めるような内容となっていますが、パウロがいうキリスト者の新しい生活スタイルはそれとは逆のものです。

 パウロは、「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。 人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ15章5)と述べた主イエスさまの思いを受け止めて、キリストの体である教会のメンバーとしてのキリスト者の生き方を語ります。教会は、主イエスさまが天にお帰りになった後、ペンテコステの出来事によって弟子たちの集団として誕生しました。パウロはその教会キリストの体と表現し、神の霊との交わりの命に満ちた、信仰共同体として説き明かしたのでした。

 エフェソ4章17は「ですから」、「そこで」(新改訳)という接続詞の言葉で始まります。これは前の文章の内容を受けた言葉です。パウロは、キリストの体(教会)の成長は各部分がキリストによって成長させられることに関係すると述べてから、読者に「古い人を脱ぎ捨て」 (22節)、「新しい人を着るように」 (24節)と勧告しま した。パウロの思いには、キリスト者となった者の成長はキリストの体につながっていることを前提としたのです。3密ではなく、キリストのいのちに相互につながることで発生する、「心の霊において新たにされ、真理に基づく義と清さの内に神にかたどって造られた新しい人を着る」(4章23,24)ことから起こる、キリストに召し出られた者としての密なる生活です。「招かれたあなたがたは、その招きにふさわしく歩み、謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び、平和の絆に結ばれて霊による一致を保つように熱心に求めなさい」(4章2,3)というパウロの言葉になりました。人間関係の中で生まれる大切な連帯の中に、相互の理解の中に、相互の援助の中に、神との交わりの回復の恵みと平和の世界を見だすのです。