10月13礼拝

   

「聖霊の声が事を始め、事を終わらせる」

聖書箇所「使徒の働き28章16〜23」

  礼拝メッセージ要約

 「使徒の働き」はパウロのローマ到着で幕を降ろします。「使徒の働き」について書かれた解説書では、どのような経緯でキリスト教会が各地域に誕生したのか、どのようにして使徒たちがキリストの福音を届けたのかという説明がなされます。キリスト教の拡大という説明は表面的な結果に注目したものです。

 主イエス・キリストさまは弟子たちに対して、エルサレムに留まって聖霊を受けるように命じました。使徒の働きでは、聖霊が主語として登場することを読み起こすとき、著者のルカが意図した別なところにあることが分かります。弟子たちが神の声や聖霊の導きの中で、キリストの福音の伝達者として聖霊との格闘を通して教えられ、自分を整え、ユダヤ人以外の人々に福音を届けたことが分かります。

 ユダヤ人以外の人々への伝道を託されたローマ名パウロ(サウロ)について考えるならば、ダマスコ市郊外での信仰体験が転換点となりました。キリスト教徒を迫害に出かけたサウロが、死から復活して天に昇られた主ィエスさまを啓示されて後、アラビヤに行きました(ガラテヤ1章11以下〕。その地で復活の主イエスさまとの交わりと学びがあったと言われています。先日、東海聖書神学塾生たちのリトリートがありました。「退修会」と訳される言葉ですが、その目的は、聖書の言葉に深く身を落としながら主イエスさまとの信仰的な体験・交わりを深めることを目指します。キリスト教の歴史において修道院は重要な位置を占めました。その場所は三位ー体の神との深い共同生活を意味しまいた。自分自身と向き合うことから始まりました。

 現在でも、プロテスタント牧師の第ーの教育訓練は、牧師の霊性を養い、神との交わりの中で自分を整えることとなっています。それを通して、主イエス・キリストさまに従って生きることとはどういうことか会得し、学び、聖書に親しみ、その言葉の意味の説き明かしの生活を体験するのです。神との格闘の中で自分自身の内面と向き合うことで、自分自身を知ることが必須になります。これは牧師だけではありません。全てのキリスト者に対しても言うことができます。それによって「私たちのキリスト信仰」が成熟に導かれるだけでなく、あわれみ深く、愛にあふれ、良き隣人としての「私たちの主イエスさま」が分かるのです。