7月14日

 

「神は常に良い結末を用意して下さる」

聖書箇所「使徒の働き21章27〜36」

  礼拝メッセージ要約

 ルカが記述した「使徒の働き」には「こうして・・・」という理由を説明する接続詞がたくさん出てきます。そこにはーつの歴史観があり、神の原理が見られると昔から指摘されてきました。人間的には「難」と思われるような事態であっても、神はそれをチャンスとして用いるというものです。「使徒の働き」が「こうしてパウロは満ニ年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちを迎えて、大胆に、少しも妨げられることもな〈、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」で閉じられているのも偶然ではありません。パウロがエルサレム行きを決めたことも神の時に沿った決定であり、ユダヤ人の手によって捕えられたパウロが当時の世界の中心ローマに行くことも、災いが転じて神の御旨の実現に使われることになりました。「こうして数日たつと、私たちは旅仕度をしてエルサレムに上った」(使徒21章13〕。

 主イエスさまの十字架の死と命への復活はエルサレムで起こり、主イエスさまの約束を信じた者たちがエルサレムに残ってペンテコステの恵みを受けました。そのことを思うとき、パウロの新しい働きがエルサレムを起点として始まることを予感させます。パウロはローマ兵(異邦人)の手によって助け出されて、ローマ兵によってローマまで護送されました。ここに福音の広がりと神の御旨との関係が明らかにされます。神はユダヤ人による騒動を用いて、ローマ市民であったパウロがローマ兵によって捕らわれたことで、福音がローマ世界の中心まで広がる機会を広げたのです。ピンチをチャンスに変えたと言ってよいでしょう。
 
 私たちキリスト者はどのような状況においても神は常に良い結末を用意して下さるという信仰を持つべきです。神の目には、私たちキリスト者は神の子であり、必要な助けが時にかなって与えられることをこのルカの記事から読み取りましょう。どのような状況に置かれたとしても、決して動揺することな〈、静まって主の御業の起こるのを期待すべきです。パウロは、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、 わたしのカは、弱さのうちに完全に現れるからであるJ(2コリント12章9)という主の言葉を語るからです。