礼拝6月16日

 

「ミレトでの説教3-与える方が幸い」

聖書箇所「使徒の働き20章32〜38」

  礼拝メッセージ要約

 エルサレムに向かって進むことが聖霊の導きだと確信したパウロは、エベソ教会の将来を長老たちに委ねました。バウロはエペソ教会の長老たちに教会の正しい信仰のあり方、牧会の方法を説くとともに、異端と の戦いに注煮するように言及しました。パウロの伝えた福音とは「良い知らせ」と呼ばれるもので、主イエス・キリストさまに関する言葉で、「主イエスさまの人格と言動と働き」に関係していました。パウロはそれを「神の恵みの福音」(20章24)と呼びました。パウロがその恵みの言葉に託すことが最善であると確信した理由は、福音のことばは神と人間を結び付かせる力があるからです。神の言葉は私たちの内に働くと、古き人を新しい人へと変革するだけでなく、恵みに満ちた新しい人を創造するからです。

 みことばは信徒たちを育成します。元の意味は 「建て上げる」という建築用語です。みことばは信徒を聖徒として聖別して、神に属する者とさせ、キリスト者にふさわしく整えます。そして、キリストの体である教会に結び会わせて御国の相続人とさせます。神の恵みの意味を分からせるとともに、その恵みの中で歩むようにと導くのです。私たちが現在使用する聖書を「みことば」と呼ぶのはこれらの理由からです。
 
 パウロが書き留めた「受けるよりも与えるほうが幸いである」という主イエスさまの言葉は福音書にはありません。使徒20章にだけ言及されています。しかし「使徒の働き」を第一章から読むと、著者ル力の意図が分かります。弟子たちは復活した主イエスさまから「聖霊を受けるまでエルサレムに留まるように」と指示されました。その言葉通り聖霊が天から与えられて、弟子たちは無料で神の恵みを受けました。また、主イエス・キリストさまが人間の体(肉)を取って私たちの世界で生まれたことを考えるとき、その出来事は異邦人にとって無料の救いの恵みとなりました。主イエスさまが私たちの世界 (地上で歩まれた人生)で 活動したことも「与えることの幸い」を指し示す行動でした。この主イエスさまの人格と言動と働きこそ私たちキリスト者の模範でもあるはずです。これが教会を世話する者たちの神の恵みの原理となるのです。