礼拝5月12日

 

「命を与える礼拝の発展」

聖書箇所「使徒の働き20章1〜12」

  礼拝メッセージ要約

 パウロの第3次伝道旅行では、エペソでの滞在が長かったためにエペソが宣教活動の中心的な役割を担うことになり、コリント教会への手紙 (55年頃)などが書かれました。使徒20章ではトロアスでの 「週の初めの日」の様子が描かれ、ル力は、「私たちはパンを裂くために集まった」(7節)と記しました。パウロは長い時間 「説教」し続けたとも書かれています。ここから分かることは、私たちが聖餐と呼ぶパン裂きと説教が日曜日の集会で行われたことです。主イエスさまに関心のあった人々は日曜日に集会を守ったことになり、私たちが今日大切に守る礼拝日が主イエスさまの復活の日に結び付けられた証拠となります。そこで、私たちキリスト者の礼拝の意義について、使徒20章から考えてみましょう。

 パウロはエペソを発つとき、弟子たちを集めて励まし、町々で福音を語りました。このときも、「説教」という形で福音を語ったのです。トロアスに来たパウロは日曜日に集会を持って、パン裂きと説教によって集まった人々に福音を語りました。そのとき、ユテコという青年が三階の窓から下に落ちる事件が起こりました。青年は死んでいましたが、パウロが降りて彼を抱きかかえて言いました。「心配することはない。まだいのちがある」。ギリシャ語文では 「彼の命 (霊魂)は彼の中にある」と書かれています。キリスト者の集まり(教会)で行われた日曜礼拝の中で、失った命が回復された事件として後世の教会では語り継がれました。ここに、私たちの日曜日の礼拝の意義があるように思えます。
 
 日曜日は私たちの救い主イエス・キリストさまの福音を宣教するだけでなく、パン裂きという聖餐の式を守り、説教によって集まった人々を整えたということです。更に、その礼拝において、命の回復という具体的な奇跡的な行為が伴ったことです。私たちはユダヤ人のように土曜日を安息日としてはいません。なぜならば、新しい命の回復を主イエスさまの復活に見るからです。主イエスさまを喜び讃美することは、イエスさまの復活に結び付くからです。キリスト者はこの主であるイエスさまに結び合わされた者だからです。